ベトナム旅行記サイゴン(ホーチミン)編 【N-YAN旅行記】 #009 ~サイゴンとワタクシ・前編~
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ベトナム旅行記サイゴン(ホーチミン)編 Trip in Saigon,Vietnam 十数年振り、思い出の街サイゴンに到着【N-YAN旅行記】 #009+ - YouTube
この記事にはあえて末尾に「サイゴンとワタクシ」という副題をつけました。
まず「サイゴン」という地名についてです。読者の方の中には「なぜホーチミン市と呼ばないのか?あんたは反共主義者か?」と思われる方もいるかもしれません(そもそもワタクシの定期的な読者が何人存在するのか?の方が問題だったりするのですが、それはさておく・・w)。
この問いに関する答えは明快。「地元の人はみんなSài Gònって呼んでるから」です。
皆様ご周知の通り、1975年4月30日のサイゴン陥落以降、この街の住民は北部共産政権の支配下に置かれ、無茶な社会主義化政策などで散々辛酸を舐めたはずです。その「北の奴ら(サイゴンっ子は「Bắc Kỳ バッキー」と蔑称で呼びます)」が押し付けて来た「ホーチミン市」という名称を使いたがらないのは当たり前です。
それは誰にでも気づくことなのですが、実は厳密に言うと「Saigong=Ho chi minh city」ではないのです。
これは恐らく福岡出身のタモリさんあたりに聞きたいことですが、「博多=福岡市」で無いのと事情は少し似ています。福岡市出身の知人が周囲にいないので聞けないのですが、福岡の大濠公園のあたり出身の人に「あなた、博多っ子ね!」と言ったら(若い子はともかく)地元の人は内心眉をひそめるかも知れません。厳密には「博多」という地名は現在の博多区周辺を指すことばであって、藩政の中心であった西部は「福岡」というのが正しいらしいのです(あくまでもよそ者の推測デス・・)。
※詳しい解説は↓をどうぞ。よく分かります。
「Saigong≠Ho chi minh city」問題も似ていて、ホーチミン市という行政地区の中の中心部だけが狭義での「Saigon」なのです(実際Cho' lo'nのあたりは「ここはSaigonではない」という認識のようです)。こういう訳でワタクシは一貫してこの街を「サイゴン」と呼び続けるつもりです。
このサイゴンとワタクシのご縁というのは大変深いのですが、今回長い月日を経て再訪するに至ったのには語りつくせぬ理由があります。
・・・おっと、今回は長くなりそうなのでこの辺で。このシリーズは今後も続けます(正直ホテルでダラダラしすぎて動画についてコメントすることが余りないというのはナイショの話・・・w)。